2010年1月14日

楽器本来の音

楽器本来の音とは何だろうか。稚拙な筆者でも考える事がある。この問い自体虚しいだろうか。

正月、コントラバス奏者の方とお話しする機会があった。楽器の話から弓の話まで、色々聞かせて頂いた。楽器のセットアップについては、楽器本来の音になるようにセットアップするのが良いのではないかとおっしゃっていた。一流の演奏家なのに、あくまでも楽器を尊重されている姿勢に新鮮な感銘を受けた。筆者も楽器本来の音を目的と考えて作業しているが、それでもやはりセットアップには、依頼された方や作業者の好みを反映する(されてしまう)余地があると考えていたので、尚のこと興味深い話であった。

楽器の各部分が正確に接合され、駒や魂柱、ナットやサドルの加工が正確に行われる事は、楽器の持つ能力を最大限に引き出すために必要な事で、楽器本来の音を引き出すための作業と言ってよいと思う。楽器のロスを減らし、効率を高めるからである。

直接音に関係しない弦高や指板のキャンバーなどは、演奏家のスタイルによって決まる比重が大きい。弦高は駒の高さという点では音に関係するが、厳密にいえば望む弦高で駒の高さが最適になるように、ネックを操作すればよいという事になるのではなかろうか。標準的な値はあるものの、健康的にセットアップできる範囲の中で、これらを決めるのは楽器でなく演奏家である。

駒の材質や処理方法、またモデルの違いはどうだろうか。魂柱の素材や太さはどうだろうか。駒の位置や魂柱の位置も、試行錯誤して良い位置を探るが、楽器の性質だけによってこれらを決められるだろうか。セットアップで行える調整の範囲は、あくまでも、その楽器がもともと持っている性格の範囲内であることは大前提である。それでも、やはり筆者にはある程度の余地あるような気がする。これは、間違いかも知れない。能力が高い人ならば、楽器をみて、ただ一つで最善の解を見いだせるのかも知れない。能力が高くなくても、あらゆる駒と魂柱との組み合わせを全て試し、その中から最善と思われる物を選ぶと言う事によって、答を探す事が出来るだろうか。

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最近家人に「コントラバスは、どこまでもとのままなのか」と問われ、明確な基準があると、その場は答えた。実際に作業していると、やって良い事と悪い事は割合にはっきりしていると思う。しかし、先のコントラバス奏者の方のお話の事も思い起こすと、面白い問いである。指板交換や継ネックは、本来の楽器を損なわない修理である。これらは消耗品だからである。一方で、楽器の表板を薄くしたり、肩をカットしたりすれば、オリジナルを損なうのではないかと思う。

一つの基準は元に戻せるかどうかという事かも知れない。しかし、セルフバーを持つ表板を、通常のバスバーに交換する事は楽器を損なうだろうか。ブロックを持たないセルフネックの楽器にブロックを追加することはいけないだろうか。これらは、楽器を損なう修理だとは考えられていない。バロックのセットアップをモダンに変更することもそうだろう。これらによって、楽器の能力を引き出すことは、楽器本来の音を引き出した事になるだろうか。

楽器を演奏する道具としてでなく、歴史的に意味のあるものとして扱う必要があれば、ネックや指板やセルフバーは保存する必要があるだろう。製作者のオリジナルであれば、駒やテールピースですらそのままにしておく価値があるかもしれない。

以前にも書いたが、楽器製作者とリペアラの関係は、作曲家と演奏家の関係に似ているような気がする。結局は、楽器の製作者に対する敬意が基準なのではないだろうか。製作者の努力と技量に敬意を払い、楽器が経てきた時間に対して謙虚になる事が必要だ。しかし、それでも、演奏家のように、解釈の余地はあるのではないだろうか。

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