2008年2月24日

膠はどこへ行った?

膠(にかわ)は、一度溶解したならば、新鮮な方が接着力が強いと言われる。

朝に湯煎した膠は、その日1日は十分にフレッシュに使えるだろう。翌日には、強度のあまり要らない部分には使えるかもしれない。翌々日になると、すこし考えるところである。冷蔵庫での保存には、家人の抵抗を乗り越えなくてはならない。密封してあるから匂いは移らないとか、ゼラチンだから害は無いとか、色々説得する必要がある。ともかく、接着の信頼性を保ちたければ、あまり日数の経った膠を使うのは危険かも知れない。

特に夏場は長くは持たない。腐敗してしまうからだ。もちろんもったいないから、なるべく余らないように作りたいが、あまり少量では、湯煎中の濃度の変化が大きくなってしまうから、最低限の量は作らなくてはならない。ということで、余った膠は捨てられる事になってしまう。

湯煎した膠をそのまま置いておくと、固まって煮こごりの様になる。筆者はその塊を外に捨てていた。田舎で、多少敷地があるので、地面に捨てておが屑をかけ、自然に帰そうという訳である。ところが、翌日チェックしてみると、その塊が無い。そんなに直ぐに消えるはずは無いと思いつつも、次に捨てた時も同様に消えていた。妻は、食後のゼリーとして、何かが食べているのだ主張した。しかも、何故か少し嬉しそうである。確かに、近辺には狸や猪がいるし、膠もコラーゲンだから食べて害になる訳では無い。あまり有難くないものが来ているなら、膠の処分方法を変えなければならないが、現場を押さえた事が無いので、未だに何が来ているのかは分からないままである。

我々には食欲をそそる匂いとは言いがたい膠ゼリーだが、肌や毛並にも良いのかも知れない。しかし、無害とはいえ、皆様方、ゆめゆめお召し上がりにならぬよう。

2008年2月16日

夏魂柱?冬魂柱?

表題は、夏駒と冬駒という言葉にかけて言っているため、一般的な用語とは言えない。

季節によって弦高が変動するのに対応するため、多湿季と乾季で夫々に駒を用意して(夏駒・冬駒)使い分ける場合があるようだ。アジャスターがあれば弦高の変化に対応する事は、比較的たやすいが、弦高を変える事は、駒の高さを変える事だから、楽器へのテンションのかかり方が変化する。大きく弦高を変えるときには、それに伴って他の調整をしたほうが良い場合もあるかもしれない。

ところで、弦高だけでなく、季節によって適切な魂柱の長さも変化している。通常は湿気の多い時期には、長い魂柱が必要になる。従って、秋冬等の乾燥期に、魂柱が長く感じたからと言って、単純に短くできないのである。湿度が高い時期にフィットするように調整されているのかもしれないからだ。楽器にもよるが、この長さの変化は結構な量で、加工したくなる位の量だから、位置の調整で対応するのも躊躇する所である。それに、魂柱調整の本来の目的とは全く別の理由での移動だから、出来れば避けたい。何のために移動するのか本末転倒になってしまう。

もし、年間を通じて、楽器のコンディションを良い状態に保ちたければ、魂柱を2本用意して、季節によって使い分ける事が必要となるだろう。夏冬で駒を替えている場合には、駒の交換と同時に魂柱も交換すれば良い訳だから、それほど非現実的な手間ではないのではなかろうか。

2008年2月8日

指板のドレッシング

指板の一部が減ったり、反り(キャンバー)の量や形が適切でない時、厚みが十分にあれば、削り直し(ドレッシング)を行って、正しい形にすることができる。指板は、ネックを補強する役割も持っているので、薄くなってしまった指板はドレッシングできない。この場合は新しい指板に交換する必要がある。

指板の反りの量は、演奏スタイルや演奏家の好みによって変える事が出来る。E線側とG線側でキャンバーの量を変える場合もある。しかし、反りの形は、基本的には、指板の全長に渡って均一である事が必要である。キャンバーの量が全体として同じでも、曲率があちこちで変わると、演奏した感じは違ってしまう。例えばキャンバーの底の部分がナットの近くに寄っていると、ナットが高いのと同じ事になってしまう。また、場合によっては、押さえている指よりナット側の弦がノイズの原因となってしまう事もある。

今回写真を撮り忘れたが、筆者は2種類の定規を使い、最初は鉋をつかって作業する。黒檀は、その硬さもさることながら、逆目が立ちやすいので、そうならないように作業することが必要である。逆目がたつと、後の行程で逆目を落とさなくてはならず、そうすると、成形した指板の曲率が不正確になってしまうからである。

正確な曲率と呪文の様に書いてきたが、E線側の指板の端等は、考慮から外す事もある。全く弾かない場所を追求しない事で、ドレッシングの量を減らし、指板の寿命を延ばす方を重視する場合である。

2008年2月5日

学校の楽器

他でも語られている事だが、中学校や高校の楽器は、大体の場合良くないコンディションにある。吹奏楽では唯一の弦楽器ということもあり、近くに知識のある人間がいなければ、どうしようもないことかもしれない。

クラブ活動や授業で使うものだと思うので、高価なものである必要はないと思うし、この際だから、魂柱が倒れていたり、表板を貫通しかかっていたり、化石のような弦が張られていたり、駒の足が合っていなかったり、穴が開いていたり、裏板が剥がれていたり、コントラバスと呼べなかったりしても、ここは涙をのんで仕方ないものとしよう。


しかし、弦高とエンドピンのゴムだけは別ではないだろうか。エンドピンのゴムについては以前も触れたが、ゴムの無いエンドピン(刺さらないタイプ)で、コントラバスを持って立たされたら、まさに拷問だし、弦高が5cm(!)もあったら、どうやって弦を押さえられるだろうか。周りの大人には全く悪意が無くても、楽器を与えられた学生は、本来全くしなくて良いはずの努力を強いられる。その努力が無意味なだけならまだしも、体を傷める可能性があるのである。

筆者が言える筋合いではないかもしれないが、もし近くの学生がこのような状況にあって、そして、もし可能ならば、是非正しいセットアップについて話をして頂けないだろうか。あるいは、(コントラバスの知識のある)専門家と話をするように薦めて頂けないだろうか。彼らは、毎日練習している。少なくとも体を壊さない弦高と、たかだか数十円のゴムの必要性を伝え、彼らの身を守るために、機会があれば一肌脱いで頂く訳にはいかないだろうか。

2008年2月2日

駒足のフィット

楽器のセットアップは、例えて言えば、演奏に似ているような気がする。
演奏家は、作品を前にして作曲家の意図を汲み取ろうと努力し、再現する。筆者には、製作家の意図を汲み取るほどの能力は無いけれども、楽器を前にして、その楽器が経てきた時間や、それを製作した、或いは弾いてきた人々のことを想像する。プレッシャーを感じるわけである。結局、人は自分の出来ることをするしかないようである。

ところで、楽器がその能力を十分に発揮するためには、駒の足が表板にフィットしている必要がある。

駒足がフィットしていないと、局所的にテンションが伝わることになって、表板を傷つける可能性がある。また、弦のテンションは駒足を介して、楽器の表板に伝わるため、フィットが悪ければ駒足が表板を変形させて、余計なストレスを与える事になり、本来意図された楽器の鳴りを変えてしまう可能性がある。

駒足のフィットは、どのような条件で行うべきだろうか。駒足の接する部分は曲面であるため、駒にテンションがかかれば、表板の曲面に沿って駒の脚は開く。テンションの無い状態でフィットする事が理想的かどうかという問題である。

駒の脚が開いた状態を再現しつつフィットするために、駒の脚の間に入れる道具も市販されている。この道具で脚の間隔を広げた状態にして、フィットさせるわけである。この場合には、道具で広げた状態が、実際の状態をどのくらい忠実に再現しているかが問われる。

筆者は、この道具は使用せず、手で押し付ける方法でフィットする。駒を押さえ付けて、フィットの感触を確かめる。この場合には、手で確かめる感触が正当なものかどうかが問われる事になる。具体的な内容には触れないが、この方法では魂柱を仮に立てておく必要がある。

いずれの方法をとるにしても、正確な作業を追及すれば、結果は音として現れるのではないだろうか。たとえ寄与が少しであっても、このような細部の積み重ねが、楽器の能力を損なわないセットアップにつながるのではなかろうか。