2011年12月31日

教えを乞う

どの分野にも素晴らしい人がいる。

そのような人が、インターネットで情報を発信してくれていると、たとえ直接指導を受けることが出来なくても、素晴らしさの一端に触れる事ができる。パソコン越しでは一端に触れるまでも行かず、本で言えば目次をちょっとだけ見せてもらったようなものかもしれない。自分の技量の稚拙さ故に、誤解してしまう危険もあるけれど、その存在を知る事が出来るだけでも貴重だと思う。情報をもとに自分で試し、そこから学ぶ事もできる。

かつて師範に、「たとえ技術が稚拙でも、気持ちは必ず伝わるんだよ」と諭された。使い古された言い回しに聞こえるかもしれないが、これは、拙い技術でも、気持ちがこもっていれば良いという安易な意味では無いと思う。師範は、レベルに達しているかどうかについての判断に厳しいかただから。一定のクオリティに達した先の遥か彼方に一流と呼ばれる領域があって、現実には皆が皆その領域に到達できる訳ではない。しかし、一流でなくても愛のある仕事をすれば、せめてそれが伝わるという事ではなかろうか。

今年は、楽器の師匠と師匠のお弟子さんの助けを頂いて、一流のかたに毛替えを見てもらう機会に恵まれた。本当に有難かった。具体的なアドバイスを色々頂いた。その時に頂いた言葉を年の締めくくりにしたい。厳しいが、勇気づけられる。
「自分で何度もやって見つけていくしかない」

2011年12月18日

指板に月

指板の反りの量が適正でも、ナット付近から急速に深くなっている指板がある。

そのような指板の形は左手への負荷が増えると考えるが、指板の反りは、演奏家のスタイルに応じて調整して良いように思う。コントラバスは、もともと体への負荷が大きいから、楽に弾けるよう方向に調整する事が多いものの、演奏スタイルによっては、反りの量は多い方が適正となるかもしれない。
この楽器は、反りを減らして負荷を減らす方向で作業した。

刃の通りが良い材料に当たると、削るのは楽しい。一方で、材の中に何らかのミネラル(?)を含んだような材料では、刃持ちは悪く、仕上げるまでに何度も刃を砥がなくてはならない。正確に削るには刃が切れる必要がある。

「刃物は切れるうちに砥げ」とは師匠の言葉で、その通りではある事は分かっていても、つい「もう少し削ってから」と粘ってしまう。砥ぎを先に延ばすと、切れなくなる分削る労力も増えるし、刃裏が減って、結局次に砥ぐ時に時間がかかってしまう。

仕上がった指板には、何かを映してみたくなる。ランプをかざすと、ちょっとしたお月見気分になった。